相手の事を気遣い、本音と建前を使い分ける。日本にいる時は、本音が分からなく、相手がどう思ってるか分からないから恐いなって思う時があって嫌いだった。
でも海外に来て5ヶ月の今、私は日本独特の「相手の気持ちまで気遣って発言すること」がとても懐かしく素晴らしい文化だと思うようになった。
こちらに来て1ヶ月の頃、かなり年上の方にお茶に誘っていただいた。その方が選んだお店に入り、散々悩んだあげく、私はパフェを注文した。
しかし、運ばれてきたパフェはとてつもなくまずかった。変な味がするのだ。パフェじゃない味が。
2~3口、口に運んでからなかなか進まない私に彼が訪ねた。「美味しいですか?」と。
彼の顔には期待があった。なぜなら、そこはただ連れて来てくれたお店ではなく、彼のオススメのカフェなのだ。「美味しい」という返答を待っていると思った。でも、美味しいと言ってしまうと全て食べないといけない。だからといって、まずいとは言えない。
ほんの数秒の内に、色んな思考を巡らせて考えた結果、「面白い味ですね」と言った私。
沈黙になった。日本語が話せる彼だったが、分からないのかと思い、彼の母国の言葉でもう一度繰り返して言ってみた。やはり、沈黙。
そして、返ってきた返事は「そんな言葉はない。」だった。確かに。おかしな文になっている。けれども、私の気を使った気持ちも分かって欲しいと思い、説明したが理解できないようだった。
「味はまずいか、美味しいか。そのままを伝えないとあなたの気持ちが分からない。」
確かに。ガツン!とくる言葉だった。それからは、まずいと言うように頑張っている。
それが、正しいとは思う。間違っていない。
けれども、やっぱり私は懐かしくなるのだ。自分のことではなく、相手の気持ちを考え、気遣いと一緒に発言する日本人の心が。

コーヒーを飲むひととき